宮下昌己みやしたまさみ
元プロ野球選手[日本]
1965年 1月4日 生 (満59歳)
宮下 昌己(みやした まさみ、1965年1月4日 - )は、東京都調布市出身の元プロ野球選手(投手)、少年野球指導者。
右投右打。
来歴=
調布市立神代中学校では荒木大輔と同級生。
日大三高に進み、エースとして1982年夏の甲子園西東京予選決勝に進出するが、日大二高の田辺晃(プリンスホテル)に完封負け、甲子園出場を逸する。
1982年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから6位指名を受け入団。
1986年には40試合に登板、3勝をあげる。
同年は先発としても8試合に起用されるが結果を残せず、翌1987年には中継ぎに専念し50試合に登板、自己最多の5勝を記録した。
その後は登板数が減少、1989年オフに広橋公寿・小川宗直との交換トレードで、大宮龍男と共に西武ライオンズに移籍した。
西武では一軍登板のないまま1991年限りで現役を引退。
引退後は吉祥寺で飲食店を経営して軌道に乗っていたものの、入居していたビルが住専がらみの物件だったため立ち退きを余儀なくされ、その後移転先が見つからず閉店する。
飲食店をオープンした日、現役時代の監督だった星野仙一がお忍びで店に現れた。
宮下は緊張のあまり最初から最後まで直立不動のままだったという。
その後は、派遣社員として様々な企業に勤務し、現在は調布市で家業の米屋(かつては小売りもしていたが、現在は卸売のみ)を継ぐ傍ら、少年野球チームの東京青山リトルシニアコーチを務めたのち、現在は監督。
同 ……
宮下昌己さんが誕生してから、59年と321日が経過しました。(21871日)