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篠塚和典しのづかかずのり

プロ野球選手、コーチ[日本]

1957年 7月16日 生 (満67歳)

篠塚 和典(しのづか かずのり、本名・旧登録名:篠塚 利夫〈しのづか としお〉、1957年7月16日 - )は、東京都豊島区生まれ、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、野球解説者・野球評論家。
愛称は「シノ」「シノさん」。
経歴= プロ入り前= 銚子商業校2年次に3年生エースの土屋正勝を擁し、春夏の甲子園大会では「4番・三塁手」として連続出場。
春は準々決勝で報徳学園に2-1で惜敗[1]。
夏は全試合勝ち進み、8月19日の決勝で防府商を7-0で降し同校初の夏の大会優勝を飾った。
この大会から金属バットが導入されたが篠塚はプロ野球の道に進んだ時に適応できるように木製バットで打席に入り[2]、2本塁打を放った。
1学年後輩に宇野勝がいた[3]。
翌年夏の千葉大会は準決勝で小川淳司のいた習志野に1-2で敗退。
習志野は夏の甲子園で優勝し[4]、2年連続で千葉県勢が連覇を果たした。
夏の大会優勝の後に湿性肋膜炎に患い、3か月間入院した。
一時は野球生命まで危ぶまれたも、半年後に復帰。
病室での静養中はベッドから天井をめがけて延々とスローイングの練習を行って、指先の感覚を養い肘の出し方を覚えた[5]。
読売ジャイアンツの監督だった長嶋茂雄に見込まれ、1975年に開催されたドラフト会議にて巨人から1位指名を受けて入団。
現役時代= プロ2年目の1977年に初の一軍昇格。
1979年には一軍に定着。
主に二塁手、遊撃手として18試合に先発出場。
同年オ ……

篠塚和典さんが誕生してから、67年と349日が経過しました。(24821日)

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