栗原健太くりはらけんた
プロ野球選手[日本]
1982年 1月8日 生 (満42歳)
栗原 健太(くりはら けんた、1982年1月8日 - )は、山形県天童市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。
経歴=
プロ入り前=
天童市内で焼肉店を営む家庭に生まれ、小学3年生から野球を始めエースで4番を務める。
中学時代のポジションは投手だった。
陸上でも3種競技(走り高跳び、100m走、砲丸投げ)で市大会を制覇している。
当時の日大山形高校の渋谷良弥監督は栗原の身体能力の高さを見て大型投手としての構想を描きスカウティングした。
しかし、日大山形高校入学後に打撃をやらせてみるとバットコントロール、スイングスピード共に図抜けており、フェンスオーバーを連発。
内野手に転向となった。
1年夏にチームの5番打者となり、秋には早くも4番打者を任せられた。
2年春の東北大会では打率7割・2本塁打を記録。
2年夏に甲子園に出場したが、4打数1安打1打点で1回戦敗退。
3年春には11球団のスカウトから高評価されていたという。
高校通算39本塁打。
1999年のドラフト会議では、広島東洋カープから3位指名を受け、契約金4500万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は50。
会議の前には、ヤクルトスワローズも上位指名での獲得を検討していたという。
プロ入団時から並外れた筋力で、当時のチームの主力だった金本知憲や浅井樹らに匹敵する数値で周囲を驚かせた。
高校3年時には背筋力280kg、スクワット330kg、ベンチプレス120kgだった。
また50 ……
栗原健太さんが誕生してから、42年と317日が経過しました。(15658日)