梨田昌孝なしだまさたか
元プロ野球選手、監督[日本]
1953年 8月4日 生 (満71歳)
梨田 昌孝(なしだ まさたか、本名:梨田 昌崇(読み同じ)、1953年8月4日 - )は、島根県浜田市出身の元プロ野球選手(捕手)、監督、野球解説者、野球評論家。
1984年より登録名を「昌孝」としている。
2004年シーズンをもって消滅した大阪近鉄バファローズの最後の監督であり、選手・監督両方で同球団の優勝を経験した唯一の人物である。
北海道日本ハムファイターズ、東北楽天ゴールデンイーグルスでも監督を務めた。
現在はNHK(2023年まで)、日刊スポーツで野球評論家を務める。
愛称は「ナッシー」。
経歴=
アマチュア時代=
浜田市立第一中学校入学後、本格的に野球を始めた。
身長順に新入部員の守備位置が割り振られ、高い方から3番目だった梨田は強制的に捕手を任されたという。
また中学野球部の1年先輩に三沢淳がいる。
島根県立浜田高校に進学し、1年秋から捕手として活躍。
1970年春季中国大会県予選決勝に進むが、江津工業の三沢淳に抑えられ敗退。
同年夏の島根大会は準決勝で安来高に敗れる。
1971年は4番打者として春夏の甲子園に出場。
春の選抜は1回戦で坂出商に3-4で惜敗。
夏の選手権も、同じく1回戦で池田高に4-5で惜敗。
同年の高校日本選抜ハワイ遠征に水谷啓昭、岡義朗らとともに参加する。
当時は実家から近い広島東洋カープのファンで、カープからドラフト指名予定である旨を知らされていたが、結局1971年のドラフト会議で近鉄バファローズから2位 ……
梨田昌孝さんが誕生してから、71年と109日が経過しました。(26042日)