松田宣浩まつだのぶひろ
プロ野球選手[日本]
1983年 5月17日 生 (満41歳)
松田 宣浩(まつだ のぶひろ、1983年5月17日 - )は、滋賀県草津市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球解説者・野球評論家。
妻はフリーアナウンサーの松田恵理。
経歴=
プロ入り前=
元高校球児で滋賀県立守山高等学校が出場した第49回全国高等学校野球選手権大会のメンバーだった父のもと、1983年5月17日に滋賀県草津市で生まれた。
双子の兄とともに草津市立老上小学校2年生の時に矢橋レモンズで軟式野球を始めた。
草津市立老上中学校時代は栗東ボーイズに入り、硬式野球に転向した。
兄とともに中京高等学校に進学に伴い岐阜県で寮生活を送ることになり以降、故郷を離れる。
在学中は主に3番・遊撃手で出場し、高校通算61本塁打を記録した。
2年時に第82回全国高等学校野球選手権大会に出場も、対沖縄県立那覇高等学校戦で延長の末、自らの悪送球で決勝点を与え1対2で初戦敗退した(投手だった兄は、この試合で監督の方針で温存され出場せず)。
なお、高校在学中に松田兄弟を視察した亜細亜大学硬式野球部監督の内田俊雄によれば「バッティングにしろ守備にしろ、しなやかさが足らずに硬いところがあった」宣浩より、兄の方が評判は良かったという。
高校卒業後、宣浩は亜細亜大学へ進学、兄はトヨタ自動車野球部に所属(金子千尋と同期入社であり高卒での入社は、この2人のみ)し、初めて兄とは別のチームに所属することになる。
大学入学後は、先述の甲子園での悪送球を ……
松田宣浩さんが誕生してから、41年と189日が経過しました。(15164日)