生年月日データベース

石嶺和彦いしみねかずひこ

プロ野球選手、コーチ[日本]

1961年 1月10日 生 (満63歳)

石嶺和彦 - ウィキペディアより引用

石嶺 和彦(いしみね かずひこ、1961年1月10日 - )は、沖縄県那覇市出身の元プロ野球選手(外野手、捕手、指名打者。
右投右打)、プロ野球コーチ、野球解説者。
愛称は「サッサ」。
現役時代は特に1986年から1993年にかけて阪急ブレーブスの強打の指名打者として、ブーマー・ウェルズ、藤井康雄と共にブルーサンダー打線の中心選手として活躍した。
経歴[編集] アマチュア時代[編集] 沖縄県那覇市出身。
小学校5年の時に、神原カープという少年野球チームで本格的に野球を始めた。
投球動作がコンパクトだったため捕手として起用されたが、投手に憧れていたという。
小学校6年の時にチームは沖縄県大会で準優勝し、石嶺も捕手として注目されるようになった。
豊見城高校では栽弘義監督のもとで猛練習を積み、1977年には下地勝治をエースとして擁するチームで2年生ながら四番打者を務め、選抜大会に出場した。
同大会では優勝した箕島高校と2回戦で対戦し、0対10で敗れている。
夏の選手権ではベスト8まで進んだものの、松本正志や宮本賢治を擁する東洋大姫路高校に3対8で敗れた。
3年になると神里昌二(神里和毅の父)とバッテリーを組む。
春の選抜大会は1回戦で敗れたものの、夏の選手権では和田豊を擁する我孫子高校を初戦で延長の末に破ると再びベスト8に進出。
石嶺自身は甲子園初の本塁打を放つも、岡山東商に5対6で惜敗した。
大会後はスカウトが自宅を訪れるようにな ……

石嶺和彦さんが誕生してから、63年と198日が経過しました。(23209日)