吉田豊彦よしだとよひこ
元プロ野球選手[日本]
1966年 9月4日 生 (満58歳)
吉田 豊彦(よしだ とよひこ、1966年9月4日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手(投手)。
左投左打。
経歴=
プロ入り前=
小学3年時に野球を始める。
大分県立国東高等学校に進学し、高校1年秋からエース。
2年生時には1983年夏の甲子園大分大会決勝に進出するが、中津工に延長11回2-4で敗退し、甲子園行きはならなかった。
当時の監督は、内川聖一の父である内川一寛。
1学年下には吉田と同じサウスポーの弓長起浩がいる。
卒業後は本田技研熊本に進む。
1987年の都市対抗にニコニコドーの補強選手として出場。
同年のドラフト会議で立浪和義を外した南海ホークスにドラフト1位で指名され、契約金5500万円、年俸600万円(いずれも推定)で入団(ただし、スポーツニッポンの選手名鑑においては、契約金の項目が2800万円と記されている)。
契約金で実家の牛を買った。
ドラフト1位指名であったものの、球団からは「1位で指名したが、君の評価は3位。
だからウチは3位としての契約金や年俸しか払えない。
それでもよかったらウチに来てくれ」と言われたという。
プロ入りが夢だった吉田はこれを受け入れたが、身売り前の南海球団は財政難だったため、契約金・年俸共に分割払いとなった。
南海・ダイエー時代=
1988年は速球とチェンジアップを武器に、ルーキーながら一軍に定着し、主にリリーフとして登板し、防御率4点台と安定感を欠いたものの43試合に登板し、チームに貢献した ……
吉田豊彦さんが誕生してから、58年と79日が経過しました。(21264日)