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勝呂壽統すぐろひろのり

プロ野球選手[日本]

1963年 9月23日 生 (満61歳)

勝呂壽統 - ウィキペディアより引用

勝呂 壽統(すぐろ ひろのり、本名:勝呂 博憲(読み同じ)、1963年9月23日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(内野手)、指導者。
本名を登録名にした時期もある。
2024年から読売ジャイアンツ女子チームのコーチを務める。
経歴= 中学1年の時にリトルリーグで全国優勝を経験する。
千葉商業高校では2年春の千葉県大会で準優勝する。
卒業後、日本通運 (浦和)に進む。
日通は都市対抗の常連チームであり、1986年の大会では、山越吉洋(本田技研から補強)と二遊間を組み活躍。
1986年のドラフト会議にて読売ジャイアンツから5位指名を受け、一時は入団を保留していたが、1987年の都市対抗に出場し、シーズン後に巨人と契約を結んだ。
現役時代= 1年目は開幕から一軍に定着。
5月28日の広島東洋カープ戦は槙原寛己と大野豊の投手戦で、0対0のまま迎えた延長10回にセンターバックスクリーンにプロ初となる決勝ホームランを放つ。
この年は89試合に出場し遊撃手のレギュラーを岡崎郁と争った。
翌1989年は岡崎の三塁手へのコンバートもあり、遊撃手のレギュラー最有力候補と目され、開幕スタメンを果たすも、打撃面が伸び悩み、守備でも少ない守備機会ながらチームワーストの失策を記録するなどして出番が減っていった。
安定感のある川相昌弘が定着すると以降、定位置を奪還することが出来ずに二軍生活が続く。
1991年シーズンオフに熊野輝光との交換トレードで入団時の ……

勝呂壽統さんが誕生してから、61年と60日が経過しました。(22340日)

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