小山正明こやままさあき
元プロ野球選手、コーチ[日本]
1934年 7月28日 生 (満90歳)
小山 正明(こやま まさあき、1934年7月28日 - )は、兵庫県明石市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。
優れた制球力から「投げる精密機械」と称えられ、金田正一、米田哲也に次ぐ日本プロ野球歴代3位の320勝、同5位の290完投を記録した。
通算無四球試合も鈴木啓示に次ぐ歴代2位。
2001年に野球殿堂入り。
経歴=
タイガース時代=
小山が通った高砂高校はもともと女学校で、小山の入学する1年前の1949年に男女共学となって野球部が設立されたばかりであり、野球では全く無名であった。
小山は高校3年秋に進学を勧める父親を説得し、その父親のつてで大阪タイガースの入団テストを受ける。
なお、小山の父が息子の入団テストを依頼する手紙を監督の松木謙治郎宛に書いたが、それが大変な達筆であったと松木は数十年後に回顧しており、小山本人からはたいした印象を受けなかったとされる。
なお、小山の父・英一は書道塾を営んでいたという。
その後、タイガースからの合否通知がなかなか届かず、自宅から近い明石市内でキャンプを行っていた大洋松竹ロビンスの入団テストも受けたが、当時は大洋ホエールズと松竹ロビンスの球団合併で選手が増えていたこともあり不合格となった。
結局、テストから5ヶ月たった翌1953年3月になって阪神から練習生として採用との通知が届き、契約金なしの月給5,000円で打撃投手も兼ねたテスト生として入団。
なお、小山は阪神の球団オ ……
小山正明さんが誕生してから、90年と116日が経過しました。(32989日)