生年月日データベース

野田誠三のだせいぞう

阪神電鉄、阪神百貨店 元社長[日本]

1895年 2月11日

1978年 3月28日 死去享年84歳
野田誠三 - ウィキペディアより引用

野田 誠三(のだ せいぞう、1895年(明治28年)2月11日 - 1978年(昭和53年)3月28日)は、日本の実業家。
阪神電気鉄道社長・会長、阪神百貨店社長、阪神不動産社長、阪神タイガースオーナーなどを歴任。
阪神甲子園球場の設計者でもある。
大阪北ロータリークラブ初代会長。
朝日放送元取締役。
勲二等瑞宝章受章。
1974年野球殿堂入り。
人物= 現在の兵庫県加西市出身。
旧制姫路中学(現兵庫県立姫路西高等学校)を経て、旧制第八高等学校、京都帝国大学工学部卒業後、1922年に阪神電鉄へ入社。
1924年から甲子園球場建設の設計主任として携わり、1941年に取締役、1951年に社長に就任。
1967年から5年間、会長を務めた。
社長任期中には各駅停車用の車両として「ジェットカー」と呼ばれる高加減速電車を投入し、また神戸高速鉄道を介して山陽電気鉄道との相互乗り入れを実現させるなど、戦争被害が大きかった阪神電鉄を見事に「阪神間の大動脈」としてよみがえらせた電鉄史に残る功労者である。
また、阪神タイガースのオーナーを1952年から23年間務め、1974年には野球殿堂入りした。
1978年3月28日、急性心不全のため83歳で死去。
野田誠三は西宮の老舗酒造家、本野田酒造(1791年(寛政3年)創業)の婿養子となったため野田姓となった。
「金鷹」と「いろは」の代表銘柄で知られる本野田酒造は、1895年(明治28年)の日本酒番付で関脇の地位に昇った酒造家である。
来歴= 1895年2月11日 ……

野田誠三さんが誕生してから、129年と283日が経過しました。(47400日)
亡くなってから、46年と238日が経ちました。(17040日)
30360日間 生きました。