生年月日データベース

芥川比呂志あくたがわひろし

俳優[日本]

1920年 3月30日

1981年 10月28日 死去享年62歳
芥川比呂志 - ウィキペディアより引用

芥川 比呂志(あくたがわ ひろし、1920年(大正9年)3月30日 - 1981年(昭和56年)10月28日)は、日本の俳優、演出家。
東京府東京市滝野川区(現・東京都北区)田端出身。
作家・芥川龍之介の長男。
母は海軍少佐の塚本善五郎の娘・文。
妻は、龍之介の次姉・ヒサの長女で、従姉にあたる芥川瑠璃子。
来歴・人物= 3人兄弟で、長弟・多加志は第二次世界大戦中、22歳でビルマにて戦死、末弟・也寸志は作曲家。
名の由来は龍之介の親友・菊池寛(表記同じで筆名ではカン、本名ではヒロシと読む)の名の読みを万葉仮名に当てたもの。
ちなみに、多加志は小穴隆一の「隆」から、也寸志は恒藤恭の「恭」から取られている。
1926年、東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)に入学。
同級に宮澤喜一がいた。
1932年 1932年、同附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に入学。
在学中からシングや岸田國士の戯曲を読み、15歳のとき『お察しください(A Comedy)』と題する戯曲を、附属中学の校友会誌「桐陰会雑誌」に発表。
学芸会では『ヴェニスの商人』や武者小路実篤の芝居を演じる。
1937年、慶應義塾大学予科に入学。
1939年、同予科から文学部仏文科に進学。
演出家女優・長岡輝子や劇作家・加藤道夫たちと新演劇研究会を結成し、学生演劇活動を始める。
その傍ら、鈴木亨主宰の詩誌『山の樹』の同人となり、畔柳茂夫や沖廣一郎という筆名で詩や翻訳を発 ……

芥川比呂志さんが誕生してから、104年と236日が経過しました。(38222日)
亡くなってから、43年と24日が経ちました。(15730日)
22492日間 生きました。