井上一樹いのうえかずき
元プロ野球選手、コーチ[日本]
1971年 7月25日 生 (満53歳)
井上 一樹(いのうえ かずき、1971年7月25日 - )は、鹿児島県姶良郡溝辺町(現:霧島市)出身の元プロ野球選手(外野手、左投左打)、プロ野球監督。
経歴=
アマチュア時代=
陵南小学校時代にソフトボールを始める。
陵南中学校時代に軟式野球部に入部。
鹿児島商業高校時代は、投手兼外野手として高校2年生のとき甲子園に1回出場。
甲子園出場について井上本人が「行進のときに鳥肌が立ったことが忘れられない。
これのために頑張ってきたんだと思った。
」と語っている。
甲子園での敗退後、甲子園の砂を集めていたら、同級生の選手から「何やってるんだ!来年も来るんだろ!」と声をかけられ、砂を一度は戻したが、後からこっそり集め直した。
3年夏は県大会決勝で大西崇之、吉鶴憲治(ともにプロで同僚)がいた鹿児島商工を相手に延長15回二死まで投げるも惜敗。
高校通算40本塁打を記録し、野手・投手の双方で注目を集めた。
1989年のNPBドラフト会議で、中日ドラゴンズから2位で指名。
投手として入団した。
入団当初の背番号は38。
1989年のドラフト会議については、当時のスカウト担当だった中田宗男の著書「星野と落合のドラフト戦略 元中日スカウト部長の回顧録」に、井上に関する記載があり、ベテランスカウト法元英明がドラフト時はピッチャーとして指名したが、早くバッターに転向して欲しかった。
しかし井上本人がピッチャーにこだわった。
これに対し、井 ……
井上一樹さんが誕生してから、53年と120日が経過しました。(19478日)