藤本敦士ふじもとあつし
元プロ野球選手[日本]
1977年 10月4日 生 (満47歳)
藤本 敦士(ふじもと あつし、 1977年10月4日 - )は、兵庫県明石市出身の元プロ野球選手(内野手)。
プロ野球コーチ。
アテネオリンピック野球の銅メダリスト。
経歴=
プロ入り前=
明石市立花園小学校時代は、実父が居酒屋経営のかたわら監督を務めていた地元のソフトボールチームに所属し、兵庫県大会で優勝するとともに、全国大会へ出場した。
明石市立望海中学校への進学後に軟式野球部へ入部し、試合では主に遊撃手として起用されていた。
育英高等学校進学後、3年次に主将を務めたほか、阪神・淡路大震災(1995年1月17日)2ヶ月後に開かれた第67回選抜高等学校野球大会に出場したが、2回戦の前橋工業高校戦において、自身の失策によりサヨナラ負けを喫した。
高校卒業後は亜細亜大学に進学したが、1年生の春からベンチ登録を果たしたものの、椎間板ヘルニアを患い、1年途中で大学を中退した。
一時は「スポーツはもう無理」とまで言われたが、懸命なリハビリテーションにより治癒した。
大学中退後、実家で営んでいた焼き鳥屋の常連で、当時オリックス・ブルーウェーブ二軍コーチだった岡田彰布の勧めにより、岡田と親交がある元早稲田大学監督が指導していた甲賀総合科学専門学校に進学し、社会人野球に参戦している同校の硬式野球部で再び実戦経験を積んだ。
卒業後は社会人野球・デュプロに進み、2000年の社会人野球日本選手権大会では、ヤマハ戦を見に来ていた当時阪神 ……
藤本敦士さんが誕生してから、47年と50日が経過しました。(17217日)