木塚敦志きづかあつし
プロ野球選手[日本]
1977年 7月19日 生 (満48歳)
木塚 敦志(きづか あつし、本名:木塚 敦士(読み同じ)、1977年7月19日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市南区)出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。
経歴=
プロ入り前=
1977年に埼玉県で生まれる。
小学2年生の時に野球を始め、さいたま市立内谷中学校を経て地元の浦和学院高に進学して野球部に入部。
森士の勧めで投げ方をサイドスローに改造すると頭角を現し、1年秋は県大会決勝で夏の甲子園準優勝の春日部共栄高を相手に救援したが土肥義弘の前に敗れて準優勝、関東大会へ進むが初戦で救援登板も敗退。
1994年の夏県大会は決勝で先発して再度、春日部共栄高・土肥と投げ合って勝つと第76回全国高等学校野球選手権大会に出場。
2回戦で中越高と対戦し、穐谷正人(ニチエー)と投手戦を繰り広げたが、9回裏に穐谷に適時打を打たれて敗戦。
1996年、明治大学に進学。
1年秋はリーグ戦未登板ながらも明治神宮大会で初戦は川上憲伸、準決勝は小笠原孝をリリーフして優勝に貢献。
1998年の東京六大学野球春季リーグ戦では抑え投手として的場直樹とのバッテリーで優勝に貢献。
大学選手権にも出場(初戦となる2回戦救援も敗退)。
秋季リーグ戦では先発投手へ転向。
4年時に「気持ちを入れたピッチングをしたい」と言う理由で登録名を「木塚 敦志」へ変更。
川上らの影響も受けてエース投手に成長した。
4年秋の対東京大学戦では、明大としては星野仙一以来のノーヒッ ……
木塚敦志さんが誕生してから、48年と144日が経過しました。(17676日)



