関本健太郎せきもとけんたろう
元プロ野球選手[日本]
1978年 8月26日 生 (満46歳)
関本 賢太郎(せきもと けんたろう、本名および旧登録名:関本 健太郎(読み同じ)、1978年8月26日 - )は、奈良県橿原市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球解説者、タレント。
経歴=
プロ入り前=
幼少期に生まれ故郷である大阪府寝屋川市から奈良県橿原市へ転居、以降橿原市で育つ。
小学生時代は少年野球チームの金橋バッファローズに在籍。
中学校では後にプロでチームメイトとなる中村泰広と同級生で、当時所属していたボーイズリーグの橿原コンドルには同じくチームメイトとなる庄田隆弘が1年後輩にいた。
父親はPL学園高等学校への進学を望んでいたが、部活見学を行った際に上下関係の厳しさを感じ取り天理高等学校への進学を決める。
ただし、天理においても1年生の集合の際の遅刻は5分までであったり、登校の際は3年生だけが自転車登校を許されていたが1年生は3年生よりも早く到着しなければならないなどの上下関係の厳しさはあったという。
天理では3年時に1番二塁手として第78回全国高等学校野球選手権大会に出場し、2回戦で中濱裕之、新沼慎二らを擁する仙台育英高校に敗れた。
大会に出場した際、記念に有名な高校球児と写真を撮ろうと開会式で3人の選手に頼みこんで記念撮影をしたが、そのうち2人はこれも後にプロでチームメイトとなる前川勝彦と三東洋だった。
高校通算20本塁打。
1996年のドラフト会議で阪神から2位指名を受け入団。
入団当時の背番号は「64」で、 ……
関本健太郎さんが誕生してから、46年と107日が経過しました。(16909日)