本山雅志もとやままさし
男子サッカー選手[日本]
1979年 6月20日 生 (満45歳)
本山 雅志(もとやま まさし、1979年6月20日 - )は、福岡県北九州市若松区出身の元プロサッカー選手。
現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。
元日本代表。
来歴=
1979年6月20日、北九州市若松区で鮮魚店を営む一家に4人兄弟の末子として生まれる。
3つ上の兄の影響で幼稚園の頃からサッカーを始め、地元の二島小学校に入学後1年生からサッカー少年団に所属、本格的に打ち込む。
5年生の頃には、指導者から「お前は自由にやっていい。
パスはやんないでどんどんドリブルで好きなように仕掛けろ」と言われていた。
二島中学校時代には、1年後輩で後に高校の後輩にもなる宮原裕司、同じく2年後輩の山形恭平らと一緒だったが、全国大会には出場出来なかった。
中学3年生の時に、福岡県の強豪校、東福岡高校の志波芳則監督にスカウトされ同校に進学。
高校では、先輩だった生津将司から監督への提案により1年生からボランチでトップチームのレギュラーになり 、同年の高校選手権でもレギュラーとして出場、1回戦桐光学園戦では1学年上の中村俊輔をマンマークし勝利に貢献するなど、同年の準決勝進出の一翼を担う 。
本山の在学中に週2回ほど同校を指導していた元八幡製鉄サッカー部監督の寺西忠成からも常に傍に置かれ薫陶を受けるが、2年時には椎間板ヘルニアを発症、当時は開腹手術しか完治する方法がなかったため、本人曰く「だましだましのまま」出場試合数を限 ……
本山雅志さんが誕生してから、45年と155日が経過しました。(16591日)