セルジオ越後せるじおえちご
元男子サッカー選手、解説者[ブラジル]
1945年 7月28日 生 (満79歳)
セルジオ越後(セルジオ えちご、Sergio Echigo、1945年7月28日 - )は、ブラジルサンパウロ出身の元プロサッカー選手。
日系ブラジル人(二世)。
現役時代のポジションは右ウイング。
現在は、サッカー評論家・指導者。
株式会社栃木ユナイテッド(HC日光アイスバックスの運営会社)代表取締役 兼 HC日光アイスバックスシニアディレクター。
日本アンプティサッカー協会(JAFA)最高顧問。
略歴=
ブラジル時代=
ブラジル・サンパウロ州サンパウロで日本からの移民の両親の元に生まれる。
17歳のときにサンパウロの名門コリンチャンスのジュニオール(ユース)のテストに合格する。
本人によれば、テストを受けた際に皆がミッドフィルダーに手を挙げたため、気圧されてつい手を挙げそびれた結果、あまった右ウイングとしてプレーすることになった。
しかしライバルが少なかったのが功を奏し、ミッドフィルダー志望者が5分ごとに交代させられる一方、セルジオは20分間もプレーすることができた。
同期は元ブラジル代表のロベルト・リベリーノで、今でもブラジルに帰った際は旧交を暖めている。
しかし1年で契約を解除されその後は、鉄骨関係の会社でセールスマンとして2年ほど働いた。
元コリンチャンスの肩書きは大きく、商談相手とサッカーの話をしたり、草サッカーをするだけで物が売れていったという。
その後、ブラジルの2部チームを渡り歩いた後、日本の社会人チームからア ……
セルジオ越後さんが誕生してから、79年と116日が経過しました。(28971日)