生年月日データベース

黒田官兵衛くろだかんべえ

戦国大名[日本]

(諱・孝高、号・如水、天文15年11月29日生)

(ユリウス暦) 1546年 12月22日

1604年 4月19日 死去享年59歳
黒田官兵衛の辞世
おもひをく 言の葉なくて つゐに行く 道はまよはじ なるにまかせて
黒田官兵衛 - ウィキペディアより引用

黒田 孝高(くろだ よしたか、旧字体:黑田 孝高)は、播磨国の姫路生まれで戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・軍師。
キリシタン大名でもあった(洗礼名はドン・シメオン)。
戦国の三英傑に重用され、筑前国福岡藩祖となる。
諱(実名)は初め祐隆(すけたか)、孝隆(よしたか)、のち孝高といったが、通称をとった黒田 官兵衛(くろだ かんべえ)、あるいは剃髪後の号をとった黒田 如水(くろだ じょすい)(隠居名であるが)としても広く知られる。
軍事的才能に優れ、豊臣秀吉の側近として仕えて調略や他大名との交渉など、幅広い活躍をする。
竹中重治(半兵衛)とともに秀吉の参謀と評され、後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称された。

推定関連画像

亡くなってから、419年と341日が経ちました。(153381日)