武田信玄たけだしんげん
戦国大名[日本]
(大永元年11月3日生)
(グレゴリオ暦) 1521年 12月11日 生
(グレゴリオ暦) 1573年 5月23日 死去享年53歳
武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。
甲斐源氏第19代当主。
武田氏の第16代当主。
諱は晴信、通称は太郎(たろう)。
正式な姓名は、源 晴信(みなもと の はるのぶ)。
表記は、「源朝臣武田信濃守太郎晴信」。
「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。
甲斐の守護を務めた武田氏の第18代当主・武田信虎の嫡男。
先代・信虎期に武田氏は守護大名から戦国大名化して国内統一を達成し、信玄も体制を継承して隣国・信濃に侵攻する。
その過程で、越後国の上杉謙信(長尾景虎)と五次にわたると言われる川中島の戦いで抗争しつつ信濃をほぼ領国化し、甲斐本国に加え、信濃・駿河・西上野および遠江・三河・美濃・飛騨などの一部を領した。
次代の勝頼期にかけて領国をさらに拡大する基盤を築いた。
西上作戦の途上に三河で病を発し、没した。
生涯=
出生から甲斐守護継承まで=
積翠寺にある、信玄公産湯の井戸
大永元年(1521年)11月3日、甲斐国守護・武田信虎の嫡長子として生まれる。
母は西郡の有力国人大井氏の娘・大井夫人。
幼名は太郎。
信玄の出生は信虎による甲斐統一の達成期にあたり、生誕地は躑躅ヶ崎館に付属した城として知られる要害山城である(または積翠寺)。
信虎は駿河国今川氏を後ろ盾とした甲府盆地西部(西郡)の有力国衆大井氏と対決していたが、大永元 ……