生年月日データベース

本多雄一ほんだゆういち

プロ野球選手[日本]

1984年 11月19日 生 (満40歳)

本多雄一 - ウィキペディアより引用

本多 雄一(ほんだ ゆういち、1984年11月19日 - )は、福岡県大野城市出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、プロ野球コーチ。
経歴= プロ入り前= 1984年11月19日に福岡県大野城市で生まれた。
母親は佐賀女子短期大学付属佐賀女子高等学校ソフトボール部の4番一塁手として国体やインターハイに出場した選手で、育児中も実業団でプレーを続け若楠国体で優勝した。
その母親のプレーを見ていた影響で小学校1年生からODサンダースに入部してソフトボールを始め、監督の指示で左打者へ転向した。
中学校時代は大野城ガッツに所属して硬式野球に転向し、主に遊撃手でプレーした。
鹿児島実業高等学校に進学し、甲子園出場は果たせなかったが二塁手として活躍。
2002年春季九州大会では、決勝で樟南高を降し優勝を飾る。
卒業後は社会人野球の三菱重工名古屋に進み、都市対抗野球大会に3度出場した。
2005年から二塁手に定着、4月の静岡大会では最優秀新人賞を獲得し、同年の公式戦の盗塁成功率は100パーセントだった。
2005年11月18日に行われたドラフト会議では、福岡ソフトバンクホークスから大学・社会人ドラフト5巡目指名を受け、11月26日に仮契約を結び、入団した。
背番号は46。
ソフトバンク時代= 2000年代= 2006年は、首脳陣からの評価が高く、松田宣浩と共にルーキーでの開幕スタメンが濃厚と思われていた。
しかし3月8日の東京ヤクルトスワローズとのオープン戦で3回に石井一久 ……

本多雄一さんが誕生してから、40年と2日が経過しました。(14612日)