生年月日データベース

芦川いづみあしかわいずみ

女優[日本]

1935年 10月6日 生 (満89歳)

芦川いづみ - ウィキペディアより引用

芦川 いづみ(あしかわ いづみ、1935年10月6日 - )は日本の元女優。
本名:伊藤 幸子(旧姓:芦川)。
日活の黄金期を代表する女優として知られる。
来歴= 東京市北区滝野川田端町で生まれる。
1952年に法政大学潤光女子高校を中退し、松竹歌劇団付属松竹音楽舞踊学校に入学する。
同期に野添ひとみ、山鳩くるみらがいた。
このとき芸名を「芦川いづみ」とする。
1953年にファッション・ショー出演中に松竹の川島雄三監督に認められ、川島監督の『東京マダムと大阪夫人』でデビューする。
1955年に川島監督の推薦で、松竹歌劇団を退団して日活に入社する。
市川崑監督の『青春怪談』で日活映画に初出演する。
『幕末太陽傳』など川島監督の作品をはじめ様々な役に挑み、松竹から移籍した北原三枝とともに日活を代表する女優となった。
浅丘、吉永小百合、中原早苗、笹森礼子と合わせて「パールライン」と愛称された。
1956年に田坂具隆監督の『乳母車』で石原裕次郎と初共演して爽やかな演技で人気を確かにすると、北原とともに裕次郎映画のヒロインとして欠かせない存在となり、北原の引退後も裕次郎の相手役として活躍した。
浅丘ルリ子にそのポジションを譲ってからも、日活を代表する女優として活躍した。
1958年の『美しい庵主さん』で、尼僧を演じるために坊主頭となった。
1961年に映画『激流に生きる男』製作中、共演者の赤木圭一郎が他界して製作が中止された。

芦川いづみさんが誕生してから、89年と48日が経過しました。(32555日)

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