渡哲也わたりてつや
俳優、歌手[日本]
1941年 12月28日 生
2020年 8月10日 死去肺炎享年80歳

渡 哲也(わたり てつや、1941年〈昭和16年〉12月28日 - 2020年〈令和2年〉8月10日[2][3])は、日本の俳優、演歌歌手、タレント、実業家。
本名、渡瀬 道彦[1](わたせ みちひこ)。
島根県生まれ、兵庫県淡路島出身[1]。
株式会社石原プロモーション第2代代表取締役社長、相談取締役。
実弟は俳優の渡瀬恒彦。
来歴=
国際情報社『映画情報』第30巻第5号(1965年)より
『愛と死の記録』(1966年)
『白鳥』(1966年)
『続東京流れ者 海は真っ赤な恋の色』(1966年)
島根県能義郡安来町(現・安来市)生まれ[4][5]。
父親は日立に勤務[6]して広島県呉市の軍需工場などを転々とし、日立の安来工場に勤務していた時に当地出身の渡の母と結婚していた[4][5]。
戦時中の1943年[6]、父親は任地の日立呉工場を退職し[6]、実家がある兵庫県津名郡淡路町(現:淡路市)に戻り洋品店を開業、小学校一年生途中から淡路島で育った[4]。
出身を淡路島にしているのは、日活に入ったとき石原が神戸市生まれなので、淡路島の方がイメージ的にいい、という判断で決めたからだという[4][5]。
終戦後の物資不足で長男と四男は亡くなった[6]。
淡路町立石屋小学校、三田学園中学校・高等学校(6年間の寮生活)[7]、青山学院大学経済学部卒業。
大学在学中は空手道部で、1966年に全日本大学空手道選手権大会で優勝も果たした[8]。
大学へ通うため上京。
弟の渡瀬恒彦と共に新宿区柏木(現・北新宿)で下宿していたが、在学 ……
渡哲也さんが誕生してから、83年と181日が経過しました。(30497日)
亡くなってから、4年と321日が経ちました。(1782日)
28715日間 生きました。