平山相太ひらやまそうた
元男子サッカー選手[日本]
1985年 6月6日 生 (満39歳)
平山 相太(ひらやま そうた、1985年〈昭和60年〉6月6日 - )は、福岡県出身の元プロサッカー選手。
現役時代のポジションはフォワード。
北九州市立田原中学校卒業、長崎県立国見高等学校卒業、筑波大学体育専門学群中退、仙台大学体育学部卒業、筑波大学大学院修了。
仙台大学監督教員。
元日本代表。
来歴=
高校時代まで=
小学校2年(8歳)からサッカーを始め、抜きん出た体格と素質を示した。
中学2年時には地元福岡の東福岡高校のセレクションにも参加したが、九州トレセンで国見高校監督を務める小嶺忠敏の指導に好印象を持ったこととなどから、3学期から長崎県の国見中学校へ転校し、2001年に国見高校へと進学。
小嶺からは「(かつて国見のエースだった)船越優蔵よりも上」と評価されて 1年時から主力に食い込むと、同年9月には自らの決勝点で高円宮杯を制し、2年時の第82回天皇杯では、1回戦の山形中央高校戦でハットトリックを記録。
2回戦で国士舘大学を破り高校チームながら3回戦でJリーグ王者の磐田と対戦した。
2003年11月にはワールドユース・UAE大会のU-20日本代表に1年代下から抜擢される。
控えFWの立場であったが、坂田大輔以外のレギュラーFW陣にノーゴールが続く中、1次リーグ最終戦・エジプト戦では決勝トーナメント進出を決める貴重な決勝点を挙げ、ポストプレイヤーとしても空中戦をほぼすべて競り勝っていた活躍が認められ、ブラジルとの準々決勝ではスタメン ……
平山相太さんが誕生してから、39年と168日が経過しました。(14413日)