生年月日データベース

河野洋平こうのようへい

政治屋[日本]

1937年 1月15日 生 (満88歳)

河野洋平 - ウィキペディアより引用

河野 洋平(こうの ようへい、1937年〈昭和12年〉1月15日 - )は、日本の政治家。
衆議院議長(第71・72代)、副総理(村山内閣・村山改造内閣)、外務大臣(第118・123-125代)、内閣官房長官(第55代)、科学技術庁長官(第39代)、原子力委員会委員長(第39代)、衆議院議員(14期)、自由民主党総裁(第16代)、新自由クラブ代表(初代・第3代)を歴任。
2003年(平成15年)から2009年(平成21年)まで日本憲政史上最長(当時)の期間にわたって衆議院議長を務めた。
自由民主党では初となる総裁に就任したにも関わらず、内閣総理大臣(首相)に就任できなかった人物である。
結党から2025年(令和7年)10月18日(土)現在にいたるまでこの事例となった人物は河野と谷垣禎一の2名のみである。
父は副総理兼国務大臣(東京五輪担当)、農林大臣、建設大臣、衆議院議員を務めた河野一郎、叔父は参議院議長を務めた河野謙三、衆議院議員の河野太郎は長男。
いわゆる従軍慰安婦について述べた「河野談話」を発表したことで知られる。
稲門体育会会長。
来歴・人物= 生い立ち= 1937年(昭和12年)、神奈川県平塚市に衆議院議員河野一郎とその妻・照子の次男として生まれる。
1955年(昭和30年)、早稲田大学高等学院を経て、早稲田大学政治経済学部経済学科に入学(同級生に福田康夫)。
在学中は競走部に所属した。
1959年(昭和34年)に大学を卒業し、丸紅飯田(1972年(昭和47年)に社名変更し ……

河野洋平さんが誕生してから、88年と278日が経過しました。(32420日)

推定関連画像