生年月日データベース

山口敏夫やまぐちとしお

政治家[日本]

1940年 8月29日 生 (満84歳)

山口 敏夫(やまぐち としお、1940年〈昭和15年〉8月29日 - )は、日本の元政治家。
埼玉県東松山市出身。
父は元衆議院議員の山口六郎次。
ニックネームは「政界の牛若丸」「珍念」「隙間政治家」。
衆議院議員(10期)、労働大臣(第47代)、新自由クラブ幹事長(第3代)を経て、政治団体国民主権の会代表。
来歴・人物= 埼玉県立松山高等学校を経て、明治大学法学部法律学科に進学するが、在学中に父・六郎次が死去。
1963年に卒業し、労働省職員を経て、石田博英の秘書を務める。
1967年の第31回衆議院議員総選挙に父・六郎次の後継者として旧埼玉県第2区から無所属で出馬し初当選するが、当時最年少の26歳で話題になった。
当選同期に山下元利・増岡博之・加藤六月・塩川正十郎・中尾栄一・藤波孝生・武藤嘉文・坂本三十次・塩谷一夫・水野清などがいる。
当選後、自由民主党の佐藤栄作総裁から追加公認を受け、自民党に入党。
1972年に厚生政務次官に就任する一方、当時自民党内で台頭していた党内右派の藤尾正行・石原慎太郎・浜田幸一・中山正暉ら青嵐会に対抗する形で当選同期の河野洋平、1期上の西岡武夫ら党内左派に属する若手グループ、政治工学研究所を結成した。
旧埼玉2区では初当選以来、同じ自民党の小宮山重四郎が長年のライバルであり、お互いを敵視し県議選や市長選でもしばしば山口派・小宮山派が対立していた。
ただ得票数では、全国で一、二を争うほど ……

山口敏夫さんが誕生してから、84年と84日が経過しました。(30765日)

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