生年月日データベース

麿赤兒まろあかじ

俳優舞踏家演出家[日本]

1943年 2月23日 生 (満81歳)

麿 赤兒(まろ あかじ、本名:大森 宏、1943年2月23日 - )は、日本の俳優、舞踏家、演出家。
暗黒舞踏集団・大駱駝艦主宰。
所属事務所は同傘下の芸能事務所・キャメルアーツ。
父は海軍大佐の大森潤一(海兵54期卒)。
長男は映画監督の大森立嗣、次男は俳優の大森南朋。
来歴・人物= 石川県金沢市生まれ。
父親の潤一は大日本帝国海軍の軍人(中佐)で、第一航空艦隊参謀としてテニアン島に赴任。
1944年(昭和19年)7月から始まるテニアンの戦いに参加して、翌8月2日、角田覚治司令長官らと塹壕に設えた司令部にて手榴弾で自決した(死後特進して大佐)。
また母親の裕子が夫の戦死をきっかけに精神を病んだため、小学5年生の時に奈良県桜井市三輪山麓に住むおじ夫婦に預けられる。
この頃、肺結核を患い入院する。
その際同室の入院患者から影響を受け、文学や演劇に興味を持つ。
奈良県立畝傍高等学校卒業、早稲田大学第一文学部哲学科中退。
中高時代は演劇部に所属、木下順二やチェーホフの短編などを公演した。
山本安英に共感して劇団『ぶどうの会』に参加するが、劇団上部の政治的な議論に嫌気がさして劇団を離れる。
その後舞踏家の土方巽に師事した。
1964年(昭和39年)6月、唐十郎の劇団・状況劇場に参加し、唐が提唱する「特権的肉体論」を体現する役者として活動した。
1970年(昭和45年)、劇団を退団。
1972年(昭和47年)には独自で舞踏集団・大駱駝 ……

麿赤兒さんが誕生してから、81年と272日が経過しました。(29857日)