生年月日データベース

大鵬幸喜たいほうこうき

相撲力士・第48代横綱[日本]

(本名・納谷幸喜)

1940年 5月29日

2013年 1月19日 死去心室頻拍享年74歳
大鵬幸喜 - ウィキペディアより引用

大鵬 幸喜(たいほう こうき、1940年(昭和15年)5月29日 - 2013年(平成25年)1月19日)は、北海道川上郡弟子屈町出身(出生地は樺太敷香郡敷香町、現在のロシア極東連邦管区サハリン州ポロナイスク市)で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。
第48代横綱。
優勝32回(6連覇:2回)・45連勝などを記録した。
昭和時代の大横綱。
位階は正四位。
本名は納谷 幸喜(なや こうき)、出生名はイヴァーン・マルキャノヴィチ・ボリシコ(Іван Маркіянович Боришко)で、ウクライナ人の父親を持つ。
母親の再婚により住吉 幸喜(すみよし こうき)と名乗っていた時期もあった。
来歴= 誕生から入門= 1940年(昭和15年)、ウクライナ人の元コサック騎兵将校、マルキャン・ボリシコの三男として、日本の領有下にあった南樺太の敷香町(ロシアの呼び名サハリン州ポロナイスク)に生まれた。
母親は日本人の納谷キヨ。
マルキャンはロシア革命後に日本に亡命した、所謂白系ロシア人であった。
なお、南樺太は日本領であったため、大鵬は外国出身横綱にならない。
太平洋戦争末期、日本への米軍による原爆投下後、ソ連軍が南樺太へ侵攻してきたのに伴い、母親と共に最後の引き揚げ船だった小笠原丸で北海道へ引き揚げることとなった。
最初は小樽に向かう予定だったが、母親が船酔いと疲労による体調不良によって稚内で途中下船した。
小笠原丸はその後、留萌沖でソ連潜水艦L-12の魚雷攻 ……

大鵬幸喜さんが誕生してから、84年と162日が経過しました。(30843日)
亡くなってから、11年と292日が経ちました。(4310日)
26533日間 生きました。

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