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玉の海正洋たまのうみまさひろ

相撲力士・第51代横綱[日本]

1944年 2月5日 生 (満80歳)

玉の海正洋 - ウィキペディアより引用

玉の海 正洋(たまのうみ まさひろ、1944年〈昭和19年〉2月5日 - 1971年〈昭和46年〉10月11日)は、大阪府大阪市出生、愛知県宝飯郡蒲郡町(現・蒲郡市)出身で片男波部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。
第51代横綱。
本名は谷口正夫、後に竹内正夫(たけうち まさお)。
得意技は突っ張り、右四つ、寄り、吊り、上手投げ。
来歴= 1944年(昭和19年)2月5日に大阪府大阪市で生まれるが、大阪大空襲で焼け出されて蒲郡に疎開、以降は蒲郡で育つ。
谷口家は決して裕福ではない家庭であり、母はほとんど女手一つで正夫少年を含めた4人の子供を育て、針仕事や行商、時には土木作業で家計を支えた。
そのような生い立ちが正夫少年に「母ちゃんのために、きっと家を建ててやるからな……。
」という誓いを立てさせる動機となった。
蒲郡市立蒲郡中学校時代は柔道で鳴らし、柔道部の1年先輩にあたる和晃(後に東前頭筆頭まで昇進)を遥かに凌ぐ実力で知られていた。
警察官を目指していたが、竹内家の養子となった後、玉乃海太三郎(後の年寄片男波)に勧誘されて二所ノ関部屋に入門。
1959年3月場所で初土俵、当初の四股名は玉乃嶋。
入門時は173cm、67kgの体格であり、玉ノ海梅吉や自身のような腕力を身に付けさせようと、片男波は1日1000回の鉄砲のノルマを課した。
幕下時代に片男波の独立騒動が発生した際は片男波について行くことを選んだ。
独立が承認された時も、 ……

玉の海正洋さんが誕生してから、80年と290日が経過しました。(29510日)

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