生年月日データベース

ファイティング原田ふぁいてぃんぐはらだ

プロボクシング選手[日本]

1943年 4月5日 生 (満76歳)

ファイティング原田 - ウィキペディアより引用

ファイティング原田(ファイティングはらだ、男性、1943年4月5日 - )は、日本の元プロボクサー。
本名は原田 政彦(はらだ まさひこ)。
ファイティング原田ジム会長。
第10代日本プロボクシング協会の会長で現在は同顧問。
プロボクシング・世界チャンピオン会最高顧問。
なお、現在は「ファイティング」はJBCで欠名扱いで現役選手が名乗る事は不可能である。
東京都世田谷区出身。
実弟も牛若丸原田のリングネームでプロボクサーになった。
世田谷区立深沢中学校在学中に友人に誘われ、米穀店に勤務しながら猛練習で知られる笹崎ボクシングジムに入門。
ラッシングパワーを武器に、日本人で初めて世界フライ級・バンタム級の2階級制覇をした名王者。
多くの専門誌が「歴代最も偉大な日本人ボクサー」として原田の名前を挙げている。
19歳で王座奪取 1962年10月10日、19歳で世界フライ級王座に初挑戦。
当時の世界フライ級王者の「シャムの貴公子」ポーン・キングピッチ(タイ)への挑戦が内定していた、同級1位の矢尾板貞雄が突然引退し、10位にランクされたばかりの原田に挑戦のチャンスが回ってきた。

映像作品

関連書籍

ファイティングはらだFightingHarada [生]1943.4.5.東京プロボクサー。本名は原田政彦。日本の最も偉大なボクサーといわれている。1960年プロボクシング界に入り,1962年世界フライ級チャンピオンのポーン・キングピッチに挑戦,11ラウンド・ノックアウトKO勝ちして世界フライ級王者の座を獲得した。1963年にキングピッチと再戦したが判定負けを喫し,王座を奪われた。バンタム級に転向後の1965年,世界バンタム級チャンピオンのエデル・ジョフレ戦で判定勝ちし,フライ級とバンタム級の2階級を制覇した。4回の防衛を果たしたが,1968年にライオネル・ローズとの5回目の防衛戦で判定負けとなった。その後フェザー級に転向。1969年ジョニー・ファメションに挑戦したが判定で敗れ,翌1970年に再戦したもののKO負けを喫した。この試合を最後に引退。1995年国際ボクシング殿堂入りを果たした。通算成績は63戦56勝(23KO)7敗。(→ボクシング) (引用元 コトバンク)