末次利光すえつぐとしみつ
元プロ野球選手[日本]
1942年 3月2日 生 (満82歳)
末次 利光(すえつぐ としみつ、1942年3月2日 - )は、熊本県人吉市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督。
旧名は民夫(たみお、1974年に改名)。
経歴=
プロ入り前=
鎮西高校では2年次の1959年に投手から野手に転向。
6番打者、右翼手として夏の甲子園に出場するが、1回戦で川越高に敗退。
チームメイトに布田敏雄(大洋)がいた。
3年次の1960年夏も中九州大会県予選準決勝に進出するが、熊本工に敗れ、甲子園には届かなかった。
卒業後は1961年に中央大学へ進学し、2年次の1962年からレギュラーとなる。
東都大学野球リーグでは3年次の1963年秋季リーグ、4年次の1964年秋季リーグと2度の優勝を経験する。
1回目の優勝時のエースは三浦宏(北海道拓殖銀行)、2回目の優勝時のエースは後にプロでチームメイトとなる2年下の高橋善正であった。
1964年10月には、東京五輪デモンストレーションゲームとして開催された日米大学野球選抜試合に3番打者、左翼手として出場している。
首位打者を2回、ベストナイン(外野手)を4回獲得。
リーグ通算76試合出場、287打数87安打、打率.303、10本塁打、39打点。
大学同期に武上四郎がいる。
現役時代=
1964年11月20日に読売ジャイアンツへ入団し、1年目の1965年は4月16日の中日戦(中日)9回表に関根潤三の代走で初出場。
5月25日サンケイ戦(神宮)では町田行彦に代わって途中出場し、7回表に佐藤進から初安打を放つ。
同27日には8番打者、左翼 ……
末次利光さんが誕生してから、82年と264日が経過しました。(30215日)