市川大祐いちかわだいすけ
元男子サッカー選手[日本]
1980年 5月14日 生 (満44歳)
市川 大祐(いちかわ だいすけ、1980年5月14日 - )は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身の元サッカー選手。
ポジションはディフェンダー。
日本代表にも選出され、2002 FIFAワールドカップに出場した。
「17歳322日」という日本代表最年少出場記録を持つ(2019年時点)。
来歴=
クラブ=
清水のジュニアユース時代の1995年に開催されたメニコンカップ クラブユース東西対抗戦に出場して最優秀選手を獲得。
また、ユース年代の日本代表に選出された。
Jリーグデビューは、静岡県立清水工業高等学校2年から3年に進級する17歳のときで、1998年3月21日の日本平スタジアムでのコンサドーレ札幌戦。
同年11月14日のジェフユナイテッド市原戦で初ゴールを決めた。
1999年のセカンドステージ優勝、アジアカップウィナーズカップ1999-2000での優勝に貢献。
2001年度の天皇杯優勝時は負傷中であったため、右サイドはユースで同期の平松康平が務めた。
当時、清水の両翼は右に市川、左に三都主アレサンドロを擁し、強力なサイド攻撃を構成した。
2003年12月に同じ年齢の女性と結婚。
2004年のシーズンは、怪我により活躍が出来なかった2003年より出場機会が増え、2006年にはリーグ戦で4年ぶりのゴールを決めるなど復調。
特にサイドハーフの兵働昭弘と連動したサイドアタックは、チームの主要な攻撃パターンの一つになっている。
2007年には、フェルナンジーニョの加入により中盤がダイヤモンド型に変 ……
市川大祐さんが誕生してから、44年と191日が経過しました。(16262日)