安永聡太郎やすながそうたろう
元男子サッカー選手[日本]
1976年 4月20日 生 (満48歳)
安永 聡太郎(やすなが そうたろう、1976年4月20日 - )は、山口県宇部市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者・解説者。
現役時代のポジションはフォワード。
日本人として初めて、スペインリーグでプレーした。
長男の安永玲央もプロサッカー選手(松本山雅FC所属)。
来歴=
清水商業高校時代には佐藤由紀彦らと共に、2年次に高校選手権、全日本ユースの二冠、3年次には高校総体、全日本ユースの二冠に貢献し、U-20日本代表に招集された。
卒業後の1995年にJリーグの横浜マリノスに入団。
その年に28試合に出場し、Jリーグ制覇を経験した。
1997/98シーズンにはスペインのセグンダ・ディビシオンのUEリェイダ(ジェイダ、レリダ)にテスト入団を経て期限付き移籍、34試合に出場し4得点を挙げた。
1998年6月、横浜Mに復帰。
同年9月末には日本代表候補に選ばれ、合宿に参加。
1999年には清水エスパルスに移籍金約9千万円で完全移籍。
ゴール数は少なかったが、レギュラーとして活躍した。
特に1999年Jリーグ2ndステージでは、2位の横浜FMとの直接対決になった第14節で決勝ゴールを決め、清水は初のステージ優勝を決めた。
2001年9月、ゼムノビッチ・ストラヴゴ監督の練習方針をマスコミを通して批判し、約1ヶ月間の謹慎処分を受けた後、残留争いに苦しんでいた古巣横浜F・マリノスに翌年1月末までの期限付き移籍の形式で復帰。
清水との契約が終了した翌年は横浜FMに移籍。
2002年 ……
安永聡太郎さんが誕生してから、48年と217日が経過しました。(17749日)