福良淳一ふくらじゅんいち
元プロ野球選手、コーチ[日本]
1960年 6月28日 生 (満64歳)
福良 淳一(ふくら じゅんいち、1960年6月28日 - )は、宮崎県東臼杵郡北浦町(現:延岡市)出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・監督・コーチ。
2023年現在オリックス・バファローズゼネラルマネージャー兼チーム編成部長(GM)。
同球団の第27代監督を務めた。
経歴=
アマチュア時代=
中学校で野球部に入り本格的に野球を始めた。
延岡工業高では2年生の時、1977年秋季九州大会準々決勝に進むが、佐世保工業高の白武佳久に抑えられ敗退。
在学中の甲子園出場はならなかった。
高校卒業後日本国有鉄道に入り、社会人野球の大分鉄道管理局(現・九州旅客鉄道大分支社、チームとしては現・JR九州)で6年間プレーした。
当時は二塁手を務め、1番や3番打者を任されている。
1984年の都市対抗には新日本製鐵大分に補強され出場。
2回戦の三菱重工神戸との対戦では、西村基史(新日本製鐵広畑から補強)から本塁打を打つなど中心打者として活躍する。
準々決勝に進出したが、この大会に優勝した日産自動車に惜敗した。
この時のチームメイトに山下和彦がいた。
同年のプロ野球ドラフト会議で阪急ブレーブスに6位指名されて入団。
年俸は360万円(推定)で、当時レギュラーだった福原峰夫の控えとなることが期待されていた。
プロ野球選手時代=
プロ1年目の1985年は監督の上田利治が課す厳しい練習に音を上げて3日で辞めようかとも考えたが、4月23日の対日本ハム戦で早くも一軍 ……
福良淳一さんが誕生してから、64年と146日が経過しました。(23522日)