下田歌子しもだうたこ
教育者、歌人[日本]
(安政元年8月9日生)
1854年 9月30日 生
1936年 10月8日 死去肺炎享年83歳
![下田歌子 - ウィキペディアより引用](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/25/Utako_Shimoda.jpg/200px-Utako_Shimoda.jpg)
下田 歌子(しもだ うたこ、出生名:平尾 鉐〈ひらお せき〉、嘉永7/安政元年8月8日〈1854年9月29日〉 - 昭和11年〈1936年〉10月8日)は、日本の明治から大正期にかけて活躍した教育者、歌人(号は香雪)。
女子教育の先覚者で、生涯を女子教育の振興にささげ、実践女子学園の基礎も築いた。
祖父は儒学者東条琴台。
略歴=
美濃国恵那郡岩村(現在の岐阜県恵那市)にて、岩村藩士平尾鍒蔵と房子(挙母藩武久氏)の長女として生まれる。
実弟は平尾鍗蔵。
祖父東条琴台は江戸の医家から平尾家に婿入したが、鍒蔵が生まれた後、藩内学閥との確執から離縁。
鉐の幼少期、父鍒蔵(1818-1898)は尊王攘夷論を説いたため、安政4年と明治元年に2度謹慎処分を受け、計10年の蟄居を強いられた。
平尾家は倹約令も重なり困窮を極めたため、使用人に暇を与え、家財も売り、婦女子は畑仕事や蚕糸業に従事した。
鉐は幼少期から無類の読書好きで新旧の和漢書を読破し、漢籍を父に、和歌を大野鏡光尼(上京後は八田知紀)に師事した。
数え5歳頃から詩歌を作りはじめ、7歳のとき、桜田門外の変に際して水戸浪士らへの手向けの歌を父に促され、「櫻田に思ひ残りて今日の雪」と発句を詠じたという。
また、書物を読んで善い事だと思うと、すぐに行動にうつす事も多かった。
中国の孝行事例を集めた『二十四孝』にある、両親が蚊に刺されるのを防ぐため子が裸になって蚊を引き寄せたという逸話を読み ……
下田歌子さんが誕生してから、170年と115日が経過しました。(62208日)
亡くなってから、88年と108日が経ちました。(32250日)
29958日間 生きました。