杉浦享すぎうらとおる
プロ野球選手[日本]
1952年 6月8日 生 (満72歳)
杉浦 享(すぎうら とおる、1952年6月8日 - )は、愛知県西尾市(旧・幡豆郡幡豆町)出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者・野球解説者。
東京都荒川区在住。
1975年から1980年の登録名は杉浦 亨。
ぽっちゃりとした体形から、愛称は「ブーちゃん」(当時の打撃コーチであった武上四郎に名づけられた)。
経歴=
中学時代は陸上部。
しかし、部員不足の野球部に助っ人で引っ張られていた。
愛知高校入学後も陸上部に籍を置いていたが、ここでも部員不足の野球部に勧誘され入部、1年生からレギュラーになる。
甲子園には届かなかったが、左の速球派投手として愛知県下では知られるようになった。
1970年のドラフト10位でヤクルトアトムズに投手として入団。
ドラフト下位指名であったが、5人姉弟の末っ子で高2の時に父親を亡くし、苦労している母親のために、富士重工業への就職が決まっていながらプロ入りした。
入団後、打者に転向。
1972年に一軍に上がり、9月から一塁手として先発出場、10月には6試合に3番打者として起用される。
1973年に新人の小田義人が入団により一塁手に定着。
1975年には小田らとの交換トレードで日本ハムから大杉勝男が移籍入団し、一塁の定位置に座る。
1976年には開幕から12試合に一塁手、5番打者として起用されるが、レギュラー奪取まではいかず、控え・代打要員が続く。
1977年のシーズン終盤には、監督の広岡達朗の構想により、外野手へ ……
杉浦享さんが誕生してから、72年と166日が経過しました。(26464日)