生年月日データベース

立川志の輔たてかわしのすけ

落語家[日本]

1954年 2月15日 生 (満70歳)

立川志の輔 - ウィキペディアより引用

立川 志の輔(たてかわ しのすけ、1954年〈昭和29年〉2月15日 - )は、日本の落語家、タレント、司会者。
本名:竹内 照雄(たけうち てるお)。
富山県新湊市(現:射水市)出身。
一般社団法人落語立川流代表。
㈱シノフィス所属。
出囃子は『梅は咲いたか』。
血液型はA型。
来歴= 生い立ち・学生時代= 富山県(富山市)岩瀬で生まれたが、幼いころに両親が離婚。
その1年後に母親が亡くなり、新湊市で古道具店を営む母方の祖父母宅で祖父母と母親の兄の伯父夫婦家族と5歳のころから共に生活し、伯父夫婦には実の子のように育てられた。
祖父が落語を好み、落語との出会いは家族がテレビで見ていた5代目柳家小さんだったが、大学生になるまでは落語には興味を持っていなかった。
父親とは、2000年ごろに楽屋に訪ねてくるまで交流はなかった。
高校は富山県立新湊高等学校へ進学。
祖父が建てた別家で一人暮らしを始める。
ソフトテニス部に所属し、富山県代表でインターハイに出場したこともある。
祖父が「この子は大学へは行かせてやってくれ」と伯父夫婦に頭を下げ頼んだことにより、大学へ進学することとなった。
学生時代には伯父夫婦から仕送り(学費、生活費など)を受けていた。
明治大学経営学部に進学。
在学中は落語研究会(落研)所属。
同落研での伝統ある高座名「紫紺亭志い朝」を2年先輩の三宅裕司(4代目)から引き継ぎ、5代目紫紺亭志い朝とし ……

立川志の輔さんが誕生してから、70年と279日が経過しました。(25847日)

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