大竹寛おおたけかん
プロ野球選手[日本]
1983年 5月21日 生 (満41歳)
大竹 寛(おおたけ かん、1983年5月21日 - )は、埼玉県八潮市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球コーチ。
経歴=
プロ入り前=
浦和学院高2年夏に全国選手権に出場したものの2回戦で敗退。
当時は1学年上の坂元弥太郎がエースだったため、登板機会なし。
2年秋の関東大会からエースになるが水戸商業に初戦敗退。
3年春は埼玉県大会で東農大三高に惜敗。
3年夏の埼玉大会では春日部共栄に9回表二死まで3-1とリードしていたが、味方のエラーで逆転され埼玉大会ベスト8にとどまった。
また、日本代表としてアジアAAA選手権に出場した。
2001年度プロ野球ドラフト会議にて広島東洋カープから1巡目指名を受けて入団。
背番号は17。
広島時代=
広島時代の大竹(2009年)
2002年、故障により一軍登板はなかったが、2003年に一軍初登板、初勝利を記録した。
2004年は開幕直後は先発ローテーションの一角として5試合に先発したが中継ぎに回り、永川勝浩の不調によりシーズン途中から抑えに指名された。
43試合に登板して防御率3.18、17セーブ。
2005年、先発ローテに定着し、リーグ最多の先発登板28試合、防御率5点台ながら自身初となる2桁勝利、奪三振率はリーグ最高。
しかし、与四球、ボーク、暴投、失点、自責点のワースト5冠となり、リーグ13年ぶりの失点が100を超えた投手となる。
2006年、開幕から6連敗。
9月5日の対横浜戦(長崎)では、8回二死まで1人の走者も許さなかった ……
大竹寛さんが誕生してから、41年と185日が経過しました。(15160日)