永川勝浩ながかわかつひろ
プロ野球選手[日本]
1980年 12月14日 生 (満43歳)
永川 勝浩(ながかわ かつひろ、1980年12月14日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。
右投右打。
経歴=
プロ入り前=
三次市立三次中学校時代はバスケットボール部に所属しており、後のチームメイトの梵英心は三次市の同じ少年野球チームに所属した幼なじみだった。
3年間のブランクがあったが広島県新庄高校で再び野球を始める。
高校の同級生にMEG、2年先輩にCHEMISTRYの堂珍嘉邦がいた。
卒業後は亜細亜大学へ進み、上級生になるとエース・木佐貫洋に次ぐ投手として、同じく同期の小山良男とバッテリーを組んだ。
4年の大学選手権は準々決勝で先発勝利、明治神宮大会は準決勝で完封し優勝に貢献した。
東都大学リーグ通算成績は、15試合の登板で、5勝4敗、防御率2.03。
2002年のドラフト会議において広島東洋カープから球団史上初の自由獲得枠として入団。
背番号は、球団として8年間欠番が続いていた北別府学の永久預かり番号である20。
プロ入り後=
2011年
2003年、2000年の苫米地鉄人以来となる新人開幕一軍入り。
前年30セーブを挙げた小山田保裕が故障で出遅れるとクローザーを任され活躍。
新人としては球団最高の25セーブを記録。
オールスターゲームにも出場。
41イニングで50三振を奪った。
10勝を挙げた木佐貫洋や25本塁打を打った村田修一と新人王争いを繰り広げ、結局、新人王は木佐貫に譲った。
2004年は開幕から不調で、4月に4セーブを挙げた ……
永川勝浩さんが誕生してから、43年と364日が経過しました。(16070日)