小林幹英こばやしかんえい
元プロ野球選手[日本]
1974年 1月29日 生 (満50歳)
小林 幹英(こばやし かんえい、1974年1月29日 - )は、広島県生まれ、新潟県新潟市東区育ちの元プロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ。
現在は広島東洋カープの三軍投手育成強化コーチを務めている。
来歴=
プロ入り前=
父が国家公務員であったため、幼少期は転勤で全国を転々とする。
小学4年時から新潟市東区に定住。
新潟東リトルリーグで本格的にプレーを開始し、新潟市立藤見中学校3年時の1988年、新潟市営鳥屋野公園球場で開催されたヤクルトスワローズ対中日ドラゴンズ戦の試合前には始球式を務めた。
新潟明訓高校では3年時に同校初となる第73回全国高等学校野球選手権大会に出場するも開幕戦で岡本克道を擁した柳ヶ浦高校に敗れた。
卒業後は、東都大学野球の専修大学へ進むが、1年春に入替戦に敗れ、以降は2部リーグで過ごした。
後にチームメイトとなる1年後輩・黒田博樹との両輪で4年秋に2部で優勝し最優秀選手、最優秀投手となり入替戦では初戦で延長10回を完投して、2戦目は黒田が先発勝利で昇格に貢献。
1部リーグ通算2試合に登板、0勝0敗、防御率3.38。
4年時はドラフト上位候補にも挙がったものの指名は見送られた。
その後、社会人のプリンスホテルに入社。
後に西武ライオンズで活躍する星野智樹とは同期で、他に延岡学園・聖心ウルスラ学園監督となる小田原斉、日大山形高監督の荒木準也がいた。
1996年は新人ながら二次予選を一人で投げ抜き第67回都市対抗 ……
小林幹英さんが誕生してから、50年と298日が経過しました。(18561日)