入江たか子いりえたかこ
女優[日本]
1911年 2月7日 生
1995年 1月12日 死去肺炎享年85歳

入江 たか子(いりえ たかこ、本名・東坊城 英子(ひがしぼうじょう ひでこ)、1911年(明治44年)2月7日 - 1995年(平成7年)1月12日)は、昭和期の日本の映画女優。
来歴=
東京市四谷区四谷箪笥町(現・新宿区四谷三栄町)に生まれる。
公卿華族・東坊城家(菅原氏)の出身で父の東坊城徳長は子爵、貴族院議員。
生母は北村キミ。
1922年(大正11年)、父が亡くなり生活に困窮するも文化学院中学部に入学し油絵を習う。
次姉の敏子(1899~1991)が権掌侍「白百合の局」として貞明皇后の女官を長く務めた縁で、宮城の御局から文化学院まで徒歩通学する。
関東大震災で自邸は半壊し手放さなければならなくなった。
映画界へ=
1927年(昭和2年)、文化学院を卒業後、日活京都撮影所の俳優で兄の東坊城恭長(後に監督・脚本家)を頼って京都に移る。
同年、兄の友人で「エラン・ヴィタール小劇場」の主宰者野淵昶に請われて女優として新劇の舞台に立つ。
それを観た内田吐夢の目に留まり、その勧めに従い同年、日活に入社。
同年、内田監督の『けちんぼ長者』で映画デビュー。
華族出の入江の突然の映画界デビューは、当時の世を騒然とさせた。
以後、村田実の『激流』、内田の『生ける人形』、溝口健二の『東京行進曲』などに主演し、たちまち日活現代劇人気ナンバー1女優の地位につく。
1930年代の仁丹の団扇、左から浜口富士子と入江たか子
1931年(昭和6年)、千恵蔵プロを主宰 ……
入江たか子さんが誕生してから、114年と52日が経過しました。(41691日)
亡くなってから、30年と78日が経ちました。(11036日)
30655日間 生きました。