村中恭兵むらなかきょうへい
元プロ野球選手[日本]
1987年 10月25日 生 (満37歳)
村中 恭兵(むらなか きょうへい、1987年10月25日 - )は、神奈川県愛甲郡愛川町出身の元プロ野球選手(投手)。
左投左打。
経歴=
プロ入り前=
小学校2年生時に、「中津リバーズ」で一塁手として野球を始める。
中学時代は相模原南シニアに所属。
左投げが買われ、一塁手と投手を兼任した。
2003年に東海大甲府高校に進学すると、同姓の村中秀人監督の下でプレー。
チームがその年の夏に夏の選手権本大会へ出場すると、自身もベンチ入りを果たしたが、登板の機会はなかった。
翌2004年の夏には、チームが2年連続で選手権の本大会出場を果たしたにもかかわらず、自身は故障からの復帰途上でベンチにも入れなかった。
故障が癒えた2年時の秋からエースの座をつかんだものの、3年時夏の選手権山梨大会では、3回戦で日本航空高校に敗れた。
高校時代には前述した事情で甲子園球場のマウンドに立てなかったが、東京ヤクルトスワローズスカウトの鳥原公二が「辻内が『剛』なら、村中は『柔』。
器用でコントロールが良く、将来性は十分」と評価したり、NPBドラフト会議での指名に必要な調査書が(ヤクルトを含む)全12球団から届けられたりするほど、素材型の好投手として注目されていた。
実際には、2005年のNPB高校生ドラフト会議1巡目でヤクルトから単独指名。
元投手の鳥原が交渉を担当した後に、契約金7500万円、年俸720万円(金額は推定)という条件で入団した。
入団当初の背番号 ……
村中恭兵さんが誕生してから、37年と44日が経過しました。(13558日)