二階堂進にかいどうすすむ
政治家[日本]
1909年 10月16日 生
2000年 2月3日 死去享年92歳
二階堂 進(にかいどう すすむ、1909年〈明治42年〉10月16日 - 2000年〈平成12年〉2月3日)は、日本の政治家。
内閣官房長官(第36-37代)、北海道開発庁長官(第27-28代)、科学技術庁長官(第18-19代)、原子力委員会委員長(第18-19代)、労働政務次官(第1次岸改造内閣)、衆議院商工委員長、同建設委員長、衆議院議員(16期)、自由民主党副総裁(第11代)、自由民主党幹事長(第16・23-24代)、自由民主党総務会長(第24代)などを歴任。
来歴・人物=
二階堂家住宅(鹿児島県肝付町)内に建立された胸像
鹿児島県肝属郡高山村(現・肝付町)出身。
鹿児島県高山村長を務めた二階堂篤志の四男二女の次男として生まれる。
鎌倉時代以来の名家・二階堂氏の出身であり、生家(二階堂屋敷)は国の重要文化財(1975年6月指定)で最後の居住者であった。
旧制鹿児島県立志布志中学校(現在の志布志高校)を卒業するが、勉強が苦手で志望校をことごとく落ちる。
1932年にアメリカ合衆国に渡り、南カリフォルニア大学政治経済科を卒業、南カリフォルニア大学大学院国際関係科に進むが、無理がたたって肺結核にかかる。
一時は死を覚悟したが、肺の病患部を切除するという当時最新の手術が成功し、回復。
大学院を修了する。
日米関係が悪化する中で日本とアメリカの架け橋になろうとして全米各地を遊説して回るが、志半ばのうちに1941年8月に龍田丸で日本に帰国(龍田丸食中毒事件に遭遇した)。
……
二階堂進さんが誕生してから、115年と36日が経過しました。(42040日)
亡くなってから、24年と292日が経ちました。(9058日)
32982日間 生きました。