生年月日データベース

橋本登美三郎はしもととみさぶろう

政治家[日本]

(自民党所属衆議院議員、幹事長)

1901年 3月5日

1990年 1月19日 死去享年90歳
橋本登美三郎 - ウィキペディアより引用

橋本 登美三郎(はしもと とみさぶろう、1901年3月5日 - 1990年1月19日)は、日本の政治家。
衆議院議員、自由民主党幹事長、建設大臣、運輸大臣などを務めた。
勲一等旭日大綬章受章。
来歴・人物= 茨城県行方郡潮来町(現・潮来市)の回送問屋の家に生まれた。
当初父は「三郎」という名を考えていたが、親戚が生まれた子供に三郎と名づけたので、母親の名前をつけて「登美三郎」と命名したという。
旧制佐原中学から、早稲田大学政治経済学部に入学。
在学中は雄弁会に所属し、闘将と称された。
1927年に大学卒業後、朝日新聞社に入社する。
満州に特派員として派遣されたのを皮切りに中華民国で活動する。
1936年より翌1937年8月まで南京支局勤務、南京通信局長を務める。
同年12月、南京を日本軍が占領した際、部下の記者を15人ほど引き連れて、一番乗りしたことで有名である。
橋本は南京大虐殺については否定的な証言をしている。
外信部長、東亜部長を歴任し、第二次世界大戦終戦の年の1945年に退社した。
1946年、第22回衆議院議員総選挙に立候補するが落選、地元潮来町の町長に選ばれる。
翌1947年、第23回衆議院議員総選挙に再度出馬するがまたも落選。
1949年の第24回衆議院議員総選挙で旧茨城1区から立候補し、三度目の正直で最高点を得票し、初当選。
以後連続当選12回。
当選後、主に郵政関係、特に電気通信関係の族議員となる。
だが、1955年の保守合同に際し ……

橋本登美三郎さんが誕生してから、123年と262日が経過しました。(45188日)
亡くなってから、34年と307日が経ちました。(12726日)
32462日間 生きました。

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