川路利良かわじとしよし
薩摩藩士、警視庁大警視、陸軍少将[日本]
(天保5年5月11日生)
1834年 6月17日 生
1879年 10月13日 死去享年46歳
川路 利良(かわじ としよし、天保5年5月11日(1834年6月17日) - 明治12年(1879年)10月13日)は、日本の警察官・陸軍軍人。
幕末から明治初期の薩摩藩士、内務官僚。
階級は大警視(後に旧警視長を経て現在の警視総監)、陸軍少将(臨時)。
位階は正五位。
勲等は勲二等。
初代大警視(現・警視総監)を務め、欧米の近代警察制度を日本で初めて詳細に構築した事実上日本の警察の創設者にして、「日本警察の父」とも言われている。
西南戦争では大警視と臨時に陸軍少将を兼任し、警視隊で組織された別働第三旅団を率いて抜刀隊を指揮して西郷軍に大きな打撃を与えた。
名は当初「としなが」と名乗っていたが、後に「としよし」と改名した。
通称は正之進。
号は竜泉。
家紋は六つ丁子車。
遠祖は藤原氏といわれる。
生涯=
生い立ち=
鹿児島市皆与志町にある「大警視川路利良誕生地之碑」
薩摩藩与力(準士分)・川路利愛(としちか)の長男として天保5年5月11日(1834年6月17日)、薩摩国日置郡鹿児島近在比志島村(現在の鹿児島県鹿児島市皆与志町比志島地区)に生まれる。
薩摩藩の家臣は上士、郷士などに分かれ、川路家は身分の低い準士分であったが、16世紀に横川城主だった北原伊勢介の末裔とされる。
北原氏は肝付氏庶流。
横川城落城後に北原伊勢介の一族は蒲生に逃れ、川路氏と名乗りを変えたという。
そのため、西南戦争の激戦地であった横川に川路利良の像が建 ……
川路利良さんが誕生してから、190年と156日が経過しました。(69554日)
亡くなってから、145年と39日が経ちました。(53000日)
16554日間 生きました。