河原純一かわはらじゅんいち
元プロ野球選手[日本]
1973年 1月22日 生 (満51歳)
河原 純一(かわはら じゅんいち、1973年1月22日 - )は、東京都大田区生まれ、神奈川県川崎市中原区出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、監督。
2017年より2021年まで四国アイランドリーグplus・愛媛マンダリンパイレーツの監督を務めた。
経歴=
プロ入り前=
小学4年生から野球を始め、中学時代にはエースピッチャーとなる。
神奈川県立川崎北高等学校では2年秋からエースになるも秋と春は初戦敗退。
3年時に出場した神奈川県大会でも初戦の岸根高校戦でKOされ降板するも延長12回に逆転サヨナラ勝ち。
準々決勝(対厚木高戦)で、後に横浜へ入団する川村丈夫と延長16回の投手戦の末に投げ勝ちベスト4まで進んだ。
卒業後は駒澤大学へ進学し、東都大学野球連盟の記録(当時)となる3度の最高殊勲選手に輝くなどエースとして活躍した。
同期生には高木浩之、本間満がいる。
リーグ通算53試合に登板し23勝10敗、防御率1.66、258奪三振。
最優秀投手に2度、ベストナインに2度選ばれた。
2年次は2学年先輩である田口昌徳とのバッテリーで鶴田泰との両輪で大学選手権優勝、4年次にも同大会を制して全日本アマチュア野球王座決定戦で社会人王者の日本通運を破って最高殊勲選手に選ばれ、日米大学野球でも最優秀投手となった。
3年秋は明治神宮大会で優勝。
また日米大学野球には2年から3年連続で日本代表に選出された。
1994年のプロ野球ドラフト会議において、読売ジャイアンツから1位 ……
河原純一さんが誕生してから、51年と303日が経過しました。(18931日)