デーブ・ジョンソンDave Johnson
元メジャーリーガー[アメリカ]
1943年 1月30日 生 (満81歳)
デービッド・アレン・ジョンソン(David Allen "Davey" Johnson、1943年1月30日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州オーランド出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。
経歴=
MLB時代=
フロリダ州オーランド出身。
テキサスA&M大学を経て、1962年にボルチモア・オリオールズと契約。
1965年、シーズン終盤に3Aロチェスターからオリオールズへメジャー初昇格。
プロ入り5年目の1966年には新人王をとり、当時アメリカンリーグの強豪であったチームで正二塁手として1966年と1970年のワールドシリーズ優勝に貢献。
1969年と1971年にもワールドシリーズに出場。
なお、1966年のワールドシリーズでは、この年限りで引退した偉大な左腕投手サンディー・コーファックスに最後の被安打を記録させ、1969年のワールドシリーズでは、1勝3敗で迎えた第5戦の9回2死から打席に入って凡退し、後年監督となるニューヨーク・メッツの初のワールドシリーズ制覇の最後の打者となった。
1973年にアトランタ・ブレーブスに移籍し、同年に自身最多でナ・リーグ2位の43本塁打を放つ(うち1本は代打で記録したが、二塁手の記録した本塁打として当時のメジャーリーグ記録)。
同年にはカムバック賞も受賞した。
ゴールドグラブ賞は1969年から3年連続受賞、オールスターゲームには1968-1970年、1973年と4回選出。
巨人時代=
1975年4月18日に監督就任1年目の長嶋茂雄が「クリーン・ベースボール」をスローガンに掲げる読売ジャイアン ……
デーブ・ジョンソンさんが誕生してから、81年と296日が経過しました。(29881日)