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谷川俊太郎たにかわしゅんたろう

詩人[日本]

1931年 12月15日 生 (満92歳)

谷川俊太郎 - ウィキペディアより引用

谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう、1931年(昭和6年)12月15日 - )は、日本の詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家。
東京府(現:東京都)出身。
東京都立豊多摩高等学校を卒業。
愛称は「タニシュン」。
人物= 2015年 哲学者で法政大学総長の谷川徹三を父、衆議院議員の長田桃蔵の娘である多喜子を母として、東京府豊多摩郡杉並町(現:東京都杉並区)に生まれ育つ。
元愛知県常滑市長の庭瀬健太郎は従弟である。
1938年、東京市立杉並第二尋常小学校に入学。
1944年、東京都立豊多摩中学校に入学。
1945年5月に山の手空襲を体験した。
またこの年、京都府久世郡淀町に疎開。
京都府立桃山中学校に転学。
1946年、杉並の自宅に戻り、豊多摩中学校に復学。
1948年から詩作および発表を始める。
1950年には、父の知人であった三好達治の紹介によって『文学界』に「ネロ他五編」が掲載される。
1952年には処女詩集『二十億光年の孤独』を刊行する。
まもなく、詩作と並行して歌の作詞、脚本やエッセイの執筆、評論活動などを行うようになる。
また、石原慎太郎、江藤淳、大江健三郎、寺山修司、浅利慶太、永六輔、黛敏郎、福田善之ら若手文化人らと「若い日本の会」を結成し、60年安保に反対した。
1962年に「月火水木金土日のうた」で第4回日本レコード大賞作詞賞を受賞した。
1964年からは映画製作(記録映画「東京オリンピック」の製作に脚本家として)に、1965年からは ……

谷川俊太郎さんが誕生してから、92年と317日が経過しました。(33920日)

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