谷川俊太郎たにかわしゅんたろう
詩人[日本]
1931年 12月15日 生
2024年 11月13日 死去享年94歳
谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう、1931年〈昭和6年〉12月15日 - 2024年〈令和6年〉11月13日)は、日本の詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家。
太平洋戦争後の現代日本を代表する、国民的詩人と評価されている。
人物=
2015年
哲学者で法政大学総長の谷川徹三を父、衆議院議員長田桃蔵の娘である多喜子を母として、東京府豊多摩郡杉並町(現:東京都杉並区)に生まれ育つ。
元愛知県常滑市長の庭瀬健太郎は従弟である。
1938年 (昭和13年)に東京市立杉並第二尋常小学校へ、1944年(昭和19年)に東京都立豊多摩中学校(後の東京都立豊多摩高等学校)を卒業。
に入学。
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月に山の手空襲を体験した。
またこの年、京都府久世郡淀町に疎開し、京都府立桃山中学校に転学した。
終戦翌年の1946年(昭和21年)に杉並の自宅へ戻り、豊多摩中学校に復学した。
1948年(昭和23年)から詩作および発表を始める。
1950年(昭和25年)には、父の知人であった三好達治の紹介によって『文学界』に「ネロ他五編」が掲載される。
1952年(昭和27年)には処女詩集『二十億光年の孤独』を刊行する。
まもなく、詩作と並行して歌の作詞、脚本やエッセイの執筆、評論活動などを行うようになる。
また、石原慎太郎、江藤淳、大江健三郎、寺山修司、浅利慶太、永六輔、黛敏郎、福田善之ら若手文化人らと「若い日本の会」を結成し、1960年(昭和35年)の日米安保条約改定に反 ……
谷川俊太郎さんが誕生してから、93年と35日が経過しました。(34003日)
亡くなってから、66日が経ちました。
33937日間 生きました。