加藤郁乎かとういくや
詩人、俳人[日本]
1929年 1月3日 生
2012年 5月16日 死去享年84歳
加藤 郁乎(かとう いくや、1929年1月3日 - 2012年5月16日)は、日本の詩人、俳人、俳諧評論家。
経歴=
東京府に生まれる。
父は早稲田大学教授であり、長谷川零余子に師事した俳人加藤紫舟(本名・中庸)。
1951年、早稲田大学文学部演劇科卒業。
卒業後は日本テレビに勤務し、また商事会社を経営。
俳句は父に教えを受けつつ、日野草城、西東三鬼、高柳重信の影響を受け、父の主宰誌『黎明』に新芸術俳句を発表。
1950年に父が没してのちは『黎明』の主宰を継いだ。
のちに詩を吉田一穂、西脇順三郎に師事した。
昭和30年代には『俳句評論』『ユニコーン』などの前衛俳句誌にも参加した。
初期の代表作に「冬の波冬の波止場に来て返す」「昼顔の見えるひるすぎぽるとがる」「天文や大食(タージ)の天の鷹を馴らし」などがあり、西欧詩に学んだ詩的実験を定型俳句で展開し、俳壇の内外で評判を得た。
俳句、詩、評論の分野でさかんに発表し、1972年に文筆家として独立。
江戸俳諧研究にも取り組んだ。
句作も後年は江戸趣味・俳諧趣味に傾き「小細工の小俳句できて秋の暮」「俳人も小粒になりぬわらび餅」のような句を作った。
澁澤龍彦や松山俊太郎、池田満寿夫など異端的文学者との交友でも知られ、澁澤が『血と薔薇』の編集長を務めていた時期には、同誌の販売促進のため澁澤を『11PM』に出演させたこともある。
回想記『後方見聞録』の文庫版増訂時には、当時澁澤の ……
加藤郁乎さんが誕生してから、95年と322日が経過しました。(35021日)
亡くなってから、12年と189日が経ちました。(4572日)
30449日間 生きました。