阿南準郎あなんじゅんろう
元プロ野球選手、監督[日本]
1937年 9月2日 生
2024年 7月30日 死去享年88歳
阿南 準郎(あなん じゅんろう、1937年9月2日 - 2024年7月30日)は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。
来歴・人物=
小学生時代、当時教師であった漫画家の富永一朗から教えを受けており、富永は後年、冗談めかしながら「野球を教えたのはオレだ」とよく自慢していた。
佐伯鶴城高では遊撃手、三番打者として活躍。
3年次の1955年に夏の甲子園県予選で優勝し東九州大会に進出するが、出水高に惜敗して甲子園出場はならなかった。
1956年に広島カープへ入団。
内野が手薄であったため、1年目の同年8月から遊撃手として起用され、28試合に先発出場。
遊撃の控えで出場機会を増やしていたが、1959年には古葉毅がレギュラーに定着したことで、打撃で決め手を欠いた阿南は内野のユーティリティプレイヤーとして存在感を発揮していく。
1960年には一塁手に回った興津立雄の後継三塁手となり、阿南は「守備の職人」として古葉と共に鉄壁の三遊間を形成し、ガッツあふれた守備でファンを魅了。
1962年には興津が三塁手に復帰するが、その後も内野の準レギュラーとして活躍し、1963年には二塁へ回る。
古葉との三遊間は鉄壁、二遊間は絶品と言われる名コンビとなっていった。
1964年に「潤一」から「準郎」に改名し、小坂佳隆に代わり二塁手の定位置を獲得。
序盤は首位打者を争って夏場から失速したものの、生涯唯一の規定打席(打率24位、打率.246)到達を果たす。< ……
阿南準郎さんが誕生してから、87年と59日が経過しました。(31836日)
亡くなってから、93日が経ちました。
31743日間 生きました。