田宮虎彦たみやとらひこ
作家[日本]
1911年 8月5日 生
1988年 4月9日 死去自殺享年78歳
田宮 虎彦(たみや とらひこ、1911年8月5日 - 1988年4月9日)は、日本の昭和期の小説家。
『足摺岬』や『絵本』など希望の無い時代の孤独な知識人の暗い青春を描いた半自伝的作品や、弱者に対するしみじみとした愛情に支えられた独特のリアリズム小説を発表し、戦後高い評価を受けた。
『落城』『霧の中』などの歴史物でも知られる。
経歴=
東京生まれ、神戸市に育つ。
船員である父親の都合で転居を繰り返し、兵庫県立第一神戸中学校から第三高等学校に進学し、1933年に卒業。
三高では彼の入学年度から保証教授制度により学生の管理が厳しくなったが「別に不自由な制度とは思わず、実に自由に遊び呆けて、三高生活に突入していった」と自ら明るい学生生活を振り返っている。
同期生に青山光二、森本薫らがおり、文芸部の先輩に西口克己、文芸部長に林久男、担任に山本修二、桑原武夫(講師)がいた。
東京帝国大学文学部国文学科在学中から、同人誌『日暦』に参加し、小説「無花果」などを発表した。
『帝国大学新聞』の編集部員として三高出身の作家を訪ね歩き、武田麟太郎や丸山薫宅には足しげく通い、詩や小説を読んでもらった。
大学卒業後都新聞に入社するも『人民文庫』研究会の無届集会により逮捕され同社退社。
『人民文庫』には1936年の創刊とともに参加していたが、治安維持法により度重なる発禁処分を受けた人民文庫は廃刊。
「沈没しようとしていた船からいち早 ……
田宮虎彦さんが誕生してから、113年と122日が経過しました。(41395日)
亡くなってから、36年と239日が経ちました。(13388日)
28007日間 生きました。